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4.4日清明節(お墓参りの日)

中国は祝日で4.3日から4.5日までに、3日間休みに入ります。
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清明節(お墓参りの日)
 


中国は祝日で4.3日から4.5日までに、3日間休みに入ります。
これから清明節をご紹介させていただきます。

《清明》和歌。

 

清明  杜牧

 

清明時節雨纷纷       清明の時節 雨 紛々
路上行人欲斷魂       路上の行人[こうじん] 魂を断たんと欲す
借問酒家何處有       借問[しゃくもん]す酒家[しゅか] 何れの処にかある
牧童遙指杏花村       牧童遙[はる]かに指さす杏花[きょうか]の村

 

 

日本でも四月の始め頃になると雨が良く降る。菜種梅雨です。杜牧の時代も、清明の時節は雨粉粉。路上の行人と云うのは自分のこと。

 

行人は旅人。「魂を断たんと欲す」は漢文で読むと非常に固いことのように見えますが、「気が滅入る」と云うことです。

 

雨がしとしと降って気が滅入るなあ、気晴しに酒でも飲みたいなぁ、どこかに酒家がないかと思って見ると、向こうの方から牧童が来る。

 

牧童は牛を連れて来る子供の事ですが、実は牧童と云うのがこの詩の一つの鍵なのです。中国の詩の世界では、俗世間に対して超俗世間がある。この超俗世界の人が三種類あって、そのうちの一つが牧童です、あと二つは木樵りと漁父

 

ですから、ここで牧童が出て来たと云うことは、詩の舞台が俗世間ではない。牧童遙かに指す杏花の村。そこには、他の杜牧の詩にも出て来る酒旗、酒屋ののぼり、酒帘とも云うし、青い色をしているから青帘とも云う。

 

それが雨にそぼぬれて見える。こう云う図だと思います。牧童は、答えてあっちだよと、青い旗と杏の花は白くて小さい花ですけど、合せて彩りになっている。杏の花は脇役です。

 

主役は牧童なんです。牧童の遊ぶ世界で、そこに自ずから超俗の世界が浮上って来る。

 

野山に遊び、柳の枝を挿す
 

  江蘇、浙江両省の水郷地帯は、川がたくさん流れており、墓の多くは遠い山地にある。そのため、墓参りは一日がかりだ。昔は、お金持ちの人たちがよく船を出した。その船は、祭祀用品を積んだ「祭品船」、男が乗る「男賓船」、女が乗る「女賓船」、料理人が乗る「厨師船」があり、その規模は大きく、堂々たる船団である。
 

  封建的な教えに束縛されて、日ごろ、家に引きこもって外出しない大家の令嬢たちにとっては、清明節の墓参りは、めったにない気晴らしの時である。彼女らは真新しい服を着て、舟に乗り、沿岸の風景を愛でる。さらに山野で遊び、楽しむ。道すがら、歓声と笑い声は絶えず、実に楽しい。
 

  男性にとっては、船旅で、幸いにして美しい婦人にめぐり会えるのが楽しみだ。地元ではこう歌われている。「正月灯 2月鷂 3月上墳船上看嬌娘」(正月は元宵節に灯籠を愛で、2月は凧を揚げ、3月は墓参りして、舟の上でかわいい娘を見る)
 

  もともと、清明節は春の遊びの日であった。その風習は、古代の3月3日の上巳節にその源がある。この日は、朝廷の百官から百姓平民まで、とりわけ若い男女はみな祭りの盛装に身を包み、食べ物を持って郊外に春の遊びに出かける。宮廷人や富貴の人たちはさらに野原に天幕を張る。彼らはまず川に入って身を清めてから岸に上がり、心ゆくまで遊び戯れる。はなはだしい場合は、ここで密会し、野合することさえある。
 

  これが上巳節の「清め」であり、生命の源である水の中で一年の穢れと不祥を洗い清め、あわせて後継ぎの子を得て、一族の人数が増え、発展することを祈るのだ。
 

  後に、上巳節や川に入って身を清める習慣は、北方では次第に消滅したが、南方では民間で、なお清明節に行われる春の野遊びの風習として残っている。とくに南方の少数民族は今でも、3月3日に「歌節」を挙行し、清明節にはブランコ遊びや凧揚げ、綱引き、弓矢の射的などの遊びを行っている。
 

  興味深いことは、古人が卵と棗を生殖崇拝の物としていることだ。彼らは川に入って身を清めるとき、川の中に卵と赤い棗を流し、漂流してくる卵や棗をすくい取ることによって、子宝が授かる象徴としていた。
 

  魏晋時代(220~420年)には、文人や詩人が漂流物を卵や棗から酒盃に変えた。これは、酒を入れた酒盃が流れついたところにいた人が、直ぐに詩を吟じ、対句を作る。そうしなければ、罰としてその酒を飲まなければならないというものだ。これは「曲水流觴」(日本では「曲水の宴」という)と呼ばれる雅な遊びで、かつては大いに流行した。晋代の大書家、王羲之の『蘭亭集序』の中に、こうした文人たちの遊びが記述されている。
 

  この風習は日本にも伝わり、紙で作った人形を流すように変わり、後にはそれが泥や木で作られた人形になった。それが現在も広く行われている雛祭りである。
 

  清明節には、柳の枝を髪に挿したり、柳で作った輪を頭に載せたりする風習もある。もし清明節に柳の枝を挿さないと、病気や貧困になり、早く老いると民間では信じられている。「清明節に柳を挿さなければ、紅顔変じて皓首(白髪頭)となる」といわれている。
 

  墓参りから帰ってきたら、門の横木の上に柳の枝を挿し、子どもたちの頭の上に、柳で編んだ輪を載せてやらなければならない。柳で編んだ輪は、唐の時代、皇帝から大臣が賜った。
 

  さらに、井戸端や馬車の上にも柳の枝を挿すこともある。このため、清明節は「挿柳節」とも呼ばれる。もともと、柳を挿したり、頭に載せたりするのは、これで毒虫を避け、百鬼を駆逐し、老化を防ぎ、世継ぎまで得られると民間では見なされているからだ。
 

  人々がこれほどまでに柳を崇拝するのは、柳が春になるともっとも早く芽を吹くだけでなく、頑強な生命力と旺盛な生殖能力を持っているためだ。そこで柳の枝の力を借りて、幸福と安全、健康、一族の繁栄を祈念するのである。